旧美濃国分寺跡(大垣市)概要: 旧美濃国分寺跡は岐阜県大垣市青野町八反田丸山に境内を構えていました。美濃国分寺の創建は天平9年(737)、聖武天皇の勅願により奈良時代の名僧として知られる行基菩薩が開いたのが始まりと伝えられています。
旧美濃国分寺の境内は東西230m、南北250m以上で内部には南門、中門、搭、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、回廊、西面僧房、東面僧房、北面僧房などの建物が建てられました。
仁和3年(877)の火災により多くの堂宇が焼失し、ほぼ廃寺のようになり、機能が定額尼寺に移されます。その後、10世紀初期から中期にかけて再建され、寛弘元年(1004)には美濃国司源頼光が改修しますが延元3年(1338)の南北朝の動乱の兵火により焼失し廃寺となっています。
現在の美濃国分寺は元和元年(1615)に再興されたもので、本尊は美濃国分寺が創建時に行基菩薩が自ら彫刻したと伝わる木造薬師如来坐像で、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
昭和43年(1968)から発掘調査が行われ、多くの礎石や百万塔、古銭(和同開珎)などが発見され、現在は史跡公園として整備保存されています。美濃国分寺跡は当時の国分寺の遺構として大変貴重な事から大正10年(1921)に国指定史跡に指定されています。
旧美濃国分寺跡:上空画像
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