恵那神社(中津川市)概要: 恵那神社は岐阜県中津川市中津川字正ヶ根に鎮座している神社です。恵那神社の創建は不詳ですが神話の時代、伊邪那岐、伊邪那美の子供である天照大神が生まれた際、胞衣(へその緒)を山頂に納めたのが始まりとされ、以来、その山を恵那山と称するようになったと伝えられています(社宝の鎌はへその緒を切った際使用されたと云われています)。又、日本武尊が東夷東征を終え帰途の途中、恵那神社に参拝に訪れたことが養老4年(720)に編纂された日本書紀に記されています。
役行者が恵那山に登り開山すると神仏習合し恵那大権現や七所権現などと呼ばれるようになり別当寺院が建立され数多くの社僧を擁していたそうです(恵那山山頂には恵那神社奥宮本社の他、摂社である一の宮神社(猿田彦大神)、二の宮剣神社(天目一箇命)、三の宮神明社(天照大神・豊受大神)、四の宮熊野社(速玉男命)、五の宮富士社(木花咲開姫大神)、六の宮葛城社(一言主大神)が鎮座していた事から七所権現とも呼ばれました)。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社恵奈郡三座の内の1つ従五位上恵奈明神とされ古くから広く知られた存在だったと思われます。
その後、衰退し、元和6年(1620)に恵那山頂にある祭神を現在地に鎮座していた前宮に移しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、現在の社号である恵那神社に改称、明治6年(19873)に郷社、大正14年(1925)に県社に列し、昭和28年(1953)3月10日に金幣社に指定されています。祭神:天照大神、伊邪那岐、伊邪那美。
恵那神社の例祭で奉納される恵那文楽は元禄年間(1688〜1703年)に淡路出身の傀儡子が伝えた云われるもので平成元年(1989)に岐阜県指定重要無形民俗文化財に指定され、恵那文楽人形頭(23頭)は昭和33年(1958)に岐阜県指定重要有形民俗文化財に指定されています。
恵那神社の社宝である太刀(銘:貞綱)は平安時代中期〜後期に伯耆国大原出身の貞綱が制作し木曽義仲が奉納したと伝わるもので、長さ76.2cm、反り3.6cm、鎬造、庵棟、昭和44年(1969)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。
恵那神社の境内に生える夫婦杉は推定樹齢600〜800年、夫杉:樹高47m、幹周6.29m、婦杉:樹高46m、幹周5.48m、昭和41年(1966)に岐阜県指定天然記念物に指定されています。恵那神社拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、間口3間、奥行き4間、外壁は柱のみの吹き放し。本殿は三間社流造、銅板葺き。
恵那神社:上空画像
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