岐阜市(歴史)概要: 岐阜市は古くから当地方の中心地として栄えた地域で室町時代には美濃守護代の斎藤氏が歴代の居城として美濃国の政務を取り仕切っていました。戦国時代に入ると斎藤氏の名跡を継いだ道三が守護職である土岐氏を滅ぼし美濃国を統一し名実共に中心地となりました。
弘治2年(1556)、道三が嫡子である龍興と長良川の戦いで破れると急速に衰退し、永禄10年(1576)龍興の代に織田信長に敗れると伊勢長島へ落ち延びます。信長は地名を岐阜に改めると天正4年(1576)に安土城(滋賀県安土町)に移るまで、岐阜城が本城として天下統一を推し進めています。
本能寺の変で信長が死去すると織田信孝、秀信(三法師)など織田一族が領主となりますが、関ヶ原の戦いの際、秀信が西軍に組した為、岐阜城は落城、秀信は高野山に流され織田家宗家は断絶しています。
江戸時代に入ると奥平信昌が加納藩(10万石)を立藩、その後、大久保家7万石、松平(戸田)家7万石、安藤家6万5千石、永井家3万2千石と繋ぎ明治維新を迎えます。
加納城の城下町は中山道の53番目の宿場町でもあり熱田道(御鮨街道)との分岐点でもあった為、宿場内には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒、馬50匹が備えられ経済的にも大きく発展しました。
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